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岡山簡易裁判所 昭和44年(ろ)132号 判決

主文

被告人を罰金七、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

本件公訴事実中、業務上過失傷害の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は自動車運転者であるが、

昭和四四年一月三〇日午前一一時二〇分頃、普通乗用自動車(岡五に二八一〇号)を運転し、岡山市野田屋町一丁目五番一九号地先附近道路を徐行南進中、交通整理の行われない、見透しの悪い交差点中央附近にさしかかつたところ、おりから唐突に右方道路より、同交差点内に進入してきた干田政雄(当三八年)が、徐行と左右の安全確認を怠り無謀に時速三〇粁余で直進通過しようとした過失により、同人運転の自動二輪車の前部を、自車右側部に衝突させて転倒し、よつて同人が加療約四五日間を要する左恥骨骨折の傷害を負う交通事故を惹起したにもかかわらず、

一、直ちに運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講ぜず、

二、直ちに、もよりの警察官に事故発生の日時、場所等法令に定めた必要な事項の報告を怠つた

ものである。

(証拠の標目)〈略〉

(法令の適用)

(一)  判示一につき

道路交通法第七二条第一項前段、第一一七条

(二)  判示二につき

同法第七二条第一項後段、第一一九条第一項第一〇号

(三)  各事実につき

罰金等臨時措置法第二条、刑法第四五条前段、第四八条第二項、第一八条

(補足説明)

公訴事実第二は、(右認定事実中「おりから右方道路より同交差点内に進入してきた干田政雄(当三八年)が徐行と左右の安全確認を怠り、無謀に時速三〇粁余で直進通過しようとした過失により、同人運転の自動二輪車前部を自車右側部に衝突させて転倒し、よつて同人が加療約四五日間を要する左恥骨骨折の傷害を負う交通事故を惹起したにもかかわらず」という点を、後記公訴事実第一のとおりに訂正の上「前記、日時、場所において、前記の如く交通事故を惹起したにもかかわらず」を挿入したものと同一であるから、これを訂正し引用する。)被害者干田が受傷するに至つた原因が被告人の過失行為によるものでないことが後記のとおりであるが、右認定事実は公訴事実と全く同一性があり、かつ被告人の防禦の利益を害しないのでもとより訴因の変更の必要なく、その上に道路交通法第七二条一項前段のいわゆる救護義務は、車両等の運転者等が自らかかる危険を作出したこと自体に基づき課せられるものであつて、運転者等が当該事故の発生につき過失があつたかどうかを問わない(東高判昭三七・一〇・一八)から、右公訴事実第二の道路交通法違反の点について、論旨は、事故が被告人の過失にもとずく点を否認するほか、その余の事実を認め、しかも被告人には刑責がないというのであり、それは本件では被害者自身が自己の一方的過失に起因することを終始自認し恐縮していて、むしろ被害者の方が加害者心理に左右され、大げさな表沙汰を好まず、被告人が下車し種々受傷の有無を尋ねてみたのに、「大したことはない」旨陳弁し、その場を離れ退去することに努めたもので、救護や報告を被害者が明らかに断つた場合に該当するから、期待可能性がなく、被告人には義務違反がないというに帰し、無罪を主張するので、以下補足説明をする。

いうまでもなく、道路交通法七二条一項の趣旨が道路における危険防止と安全円滑な交通確保にあつて、同条前段(負傷者の救護の要否、道路の危険の有無を確認さす義務を負わすのが法意―東高判昭三九・一〇・一三)と後段とを別個に独立させ、救護等の措置と報告義務を課したものと解するのが相当である。そして、事故を認識した以上、負傷者を救護する等の必要な措置は、他人や負傷者が必要な措置をなすとも、その余地が残つている限り、措置が全く完了するまでは依然として存するのであり、負傷の程度が結果的に何ら治療を要しないほど軽微でも、車両等の運転者等が車両を停止し負傷の状況を確認していない場合は、依然救護義務違反罪は成立する。もつとも衝突により死傷物損を生ずるのが経験則上通常であるから、衝突の認識があれば足りることも多く、衝突の結果必ずしも死傷、物損を伴わぬことも絶無でないので、少くとも未必的に、死傷か物損の認識が必要である(最判昭四〇・一〇・二七)ところ、本件被告人は後記認定のように相当程度に強度の衝突の認識があるというべく、従つて被告人は未必的傷害の認識が推認できるものといわねばならない。それで、報告義務についても、上記の未必的認識が被告人には推認できるのである。そして、報告義務もまた、他の者が通告したからといつて、それだけで直ちに運転者等が右責務を免れるものと解することはできない。けだし、法が報告義務を科すのは、人の死傷や物の損壊を伴う交通事故は、警官が被害者救護と交通秩序維持の適切な処置をさせる必要があるからで、犯罪捜査の目的ではなく、(最判昭三七・五・二)、従つて本件で申告が遅延し、翌日実況見分が行われた結果、制動痕など消失し現状が不明になつた責をも被告人に帰すべきではないが、本件のように報告義務を尽し得るに拘らずこれをせず、または右義務を尽す意思が全くない場合には、直ちに報告義務違反罪が成立し、その後に他人(本件は被害者)が報告しても右犯罪の成否に影響がない。そして救護義務の内容は、人身事故の発生を覚知したとき、直ちに車両の運転を停止し十分に被害者の受傷の有無程度を確かめ、全く負傷していないことが明らかであるとか、負傷が軽微なため被害者が医師の診療を受けることを拒絶した等の場合を除き、(本件には拒絶したことを認めるに足る証拠はない)少なくとも被害者をして速やかに医師の診療を受けさせる等の措置は講ずべきであり、この措置をとらずに、自身の判断で、負傷は軽微であるから救護の必要がないとしてその場を立ち去ることは許されず(最判昭四五・四・二一)、また、他人が被害者を救護し交通秩序回復の措置を講じたために、結局警官が何ら措置を執る必要がなかつた場合でも、運転者らは報告義務を免れない(大高判昭四四・三・六)。その上に、死傷の原因行為につき自己に故意過失有責違法の有無を問わないし、その程度が軽微でも、社会通念上危険防止・交通安全円滑上必要ある限り、加害者なると被害者なるとを問わず、運転者各自に報告義務が課せられているものと解すべきである(仙高判昭四三・七・一七)ところ、本件被告人には逃走の意思も、事故による民事・刑事の責任回避の意思も認め得ないし、被害者が洩した、さしたる受傷なき旨の言辞を信じ、立去つたに過ぎぬことが認められるとしても、被害者の転倒の模様を熟知する被告人に、事故等に関する報告義務を科すべき必要性なしとはいえない。

なお、事実の認識の程度についても、その意味内容の認識で足り刑罰法規の認識や事実の法規に用いられた概念へのあてはめを必要としないから、それらの錯誤は本件犯罪の成立には何ら影響を及ぼす事柄ではない。それで、その他に事故報告等が不能または期待不可能の状態にあつたことも何ら認められない以上、その刑責がない旨の論旨は採用の限りでない。

しかしながら、上記の情状は量刑上とくに考慮に価するものといわねばならない。

というのは、事故の報告等はその「事故の内容」である発生日時場所、死傷者数、負傷程度、物の損壊及びその程度等事故の態様を交通事故処理に必要な限度でだけ義務づけそれ以上事故の原因やその他の事項には及ばないものと解せられ、その故にこそ事故報告等が自己に不利益な供述に当らぬため合憲と解せられる(最判昭三七・五・二)のであつて、救護の迅速が特別に必要なといえぬ場合や、事故報告等が実質的に余り意味をもたない場合すなわち交通の閑散な道路上で極めて軽微な傷害を負つたような場合にまで強要し、これを合憲とみる根拠はないからである。

(無罪の理由)

本件公訴事実第一は、

「被告人は自動車運転者であるが、昭和四四年一月三〇日午前一一時二〇分頃、普通乗用自動車(岡五に二八一〇号)を運転し、時速約二五粁で、岡山市野田屋町一丁目五番一九号先附近道路を南進中、交通整理の行われていない、見とおしの悪い交差点にさしかかつたのであるが、かかる場合自動車運転者としては、徐行するとともに、左右の安全を確認した上で進行し、事故発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然そのままの速度で進行した過失により、前同所の交差点において、おりから右方道路より同交差点内に進入してきた干田政雄(当三八年)運転の自動二輪車に全く気づかず、自車右側部を、同車前部に衝突させて転倒させ、よつて、同人に対し、加療約四五日間を要する左恥骨骨折の傷害を負わせた」

というにある。

なお、検察官は「漫然時速約一〇粁で進行した過失」とあるのを「漫然そのままの速度で進行した過失」に訴因変更の請求をし、弁護人は、右訴因変更の請求につき、結局「時速約二五粁のままで」と変更するのは公訴事実の同一性に疑いがあり、その範囲を逸脱する変更には異議がある旨主張するので、ここで一応附言する。さて、現実的審判の範囲が起訴状の訴因たる事実に限定され、訴因による公訴事実の特定は争点を明らかにし、防禦の準備をさせる趣旨だから、争点を決定的に変更し、相手方の防禦方法を根本から建て直す必要を生ずる訴因の変更は、少くとも反証の集取等を実質的に不能にするような場合は許されない。しかし、これらの判断はその訴訟関係人従前の主張、既往の証拠等を十分に参酌し具体的に決すべきところ、本件のそれらの具体的事情は、証拠調を終えた現在の審理の段階でも、当然に変更しうるものであり、かつ訴因変更には弁護人の同意も要しないから、本件訴因の変更は公訴事実の同一性を害せぬものとしてこれを許容するほかはない。

右公訴事実のうち、被告人に徐行並びに安全確認義務違反の過失があつたかどうかの点を除き、その他の本件事故の外形的事実は、当公判廷での被告人、証人岡本修行、同三宅文男、同干田政雄の各供述、当裁判所の検証調書、医師那須享二作成の干田政雄の診断書を綜合すればこれを肯認できる。

そこで、上記義務違反の過失の有無につき、以下考究する。

まず、前示各証拠によると、次の各事実が認められる。

(1)  本件事故現場は、岡山市野田屋町一丁目五番一九号地先で、総幅員各七メートルの、アスフアルト舗装がされた歩車道の区別がない道路が十字に交わる交差点であつて、交通整理の行われていない、大通りほどには、比較的交通煩繁でない場所である。

右各道路ともに、速度制限、一時停止の規制もなく、また優先道路の指定もされていない。

(2)  本件交差点の角はいずれもいわゆる角落しされていて、特に、道角一杯に建物があるのでないから、完全にその道角に至るまで左右の見透しがきかないのではないが、交差点の殆んど直前まで進行しないと、左右の見透しが困難であつて、被害者が進行してきた右方(西方)道路の状況を確認し難い地形であり、〈被害者進行の右方道路から被告人進行の左方(北方)道路に対する見透し状況も、またもとより全く同一である〉、被告人進行の道路は、被害者進行の道路同様に、互いに直線でその道路自体の見透しは良好であり、双方の道路は直角に交差している。

(3)  右交差点の左右の見透しはいずれも相当に悪く、いずれが優先道路であるとも認められない十字路交差点のほぼ中心附近で、互いに直進中の被告人運転の普通乗用自動車と、被害者運転の自動二輪車(以下単に二輪車という)とが衝突したものである。

(4)  その接触した各車両の部位は、被告人の車両の車体右側部中央より稍々後方寄りと被害者干田の車両の前部車輪とである。

(5)  右接触により被告人が運転した車両は右側の車体がへこむ程度の損傷をしたのみでその身体に格別受傷はなく、被害者干田は、転倒して加療約四五日間を要する左恥骨骨折の傷害を負つた。

(6)  被害者干田が、左前方四メートルの地点に達している被告人の車両を最初に認めたという位置は、衝突地点の手前僅かに4.1メートルであつて、当時被告人の位置は既に衝突地点の手前2.9メートルの間隔まで近接していた。ということは必らずしも明確でない。

(7)  被告人は交差点進入前確かに減速し、その被告人が最初に時速一〇粁前後に減速した地点から右側の見透し線は一九メートルで、同所と被告人の車両が被害者により認識されたという上記地点とは6.9メートルの間隔があり、被告人が右減速した地点から、同人が左右の確認をした地点までの間隔は約2.5メートルであつて、同所から右側の見透し線は二五メートルに及ぶのである。

(8)  被害者干田がいう上記(6)に述べた地点で被告人を認め、直ちに同人がブレーキ操作をした旨の点は、すでに実況見分時においてすら、路面上の痕跡及び事故時の運転状況もこれを把握検証する術がなかつた本件では、他にこれを裏付けるに足る事情が何も存しないのであるから、逆算によつて衝突時の車速を適確に窺知することも全くできない。

(9)  本件事故は警察官への申告が遅れたため、司法警察員の第一回実況見分は事故発生の翌日である一月三一日に、被害者干田政雄は入院中のため、被告人のみ立会い実施され、第二回実況見分は同年四月二三日被告人及び被害者が立会し、両者の指示説明に基き行われたものであり、事故現場には既に事故発生の痕跡は全く残存しなかつた。

(10)  それにひきかえ、右干田が現場周辺の地理的状況に殆んど暗く、従つて、この道順にも全く不馴れであつたこと。逆に、被告人は事故現場の極めて近在に日々勤務通行し、常軌的に当該交差点の道路事情に精通していたことが明認できる。(してみるとこれらの点に関する限り、被害者干田の一方的弁解のみを過当に偏重し、かかる評価や仮設に基く単なる試算の域を出ない推定には、多分に合理的疑念を容れる余地を存し、到底当裁判所の裁判判断の論拠として決定的確信を構成する資料として採用に価しないものといわねばならない。)

さて、もとより交通整理が行われていない、同幅員の交差点における直進車同志の場合自己が先入車の場合には、先入優先権があり、自己が左方車で同時進入の場合は、左方優先権がある。そしていうまでもなく、「左右の見とおしのきかない交差点」とは、交差点の出合い頭の衝突等の危険防止という徐行義務設定の立法趣旨から考えると、交差点に入る前のことであつて、左右いずれか一方も含む(名高判昭四四・二・六)し、交差する道路の両側線とも見とおせない場合も含まれ、さらに駐車中の車両その他の物件でさえぎられているときも含まれる(高松高判昭三七・三・七)。さらにまた道路交通法四二条の徐行義務免除と業務上過失の注意義務違反とは別個に考察を要する。

ところで、本件は上記認定のように交差する道路幅員が全く広狭による優劣が認められず、他に車両交通の原則的ルール(東高判昭四四・四・二二)の存在など特段の事情もなく、本件交差点が交通整理の行われていない、左右の見透しがかなりに悪いのであるから交差点を直進通過しようとする際の注意義務として、被告人も被害者も、互いに徐行義務免除の優先通行権が認められぬので、双方ともに徐行義務がある(最判昭四三・七・一六。東高判昭四四・五・一五参照)ところ、その徐行の程度は他の車両も徐行義務を果すことを期待し、これとの衝突を回避しうる程度に徐行すれば足りるものと解すべく、本件では被害者が西川・駅前町通りを東進してきて、これと交差する富田町より磨屋町方面に至る町通りの道路を南進してきて既に交差点に入つている被告人よりも、遅れて交差点に入ろうとする被害者の右二輪車は、被告人の車両の進行を妨げてはならぬことは、道路交通法三五条一項の規定上明白である。そして、右二輪車を運転する干田としては、前示東側交差点に到る前に、自己の進路前方の交差点において、自己より先に被告人の運転する自動車が北側交差点に入ろうとしていることは、充分にこれを認識し得たはずであり、従つて被告人が運転する自動車の進行を妨げないよう、当該交差点入口において、一旦停車して被告人に進路を譲るべきであつたものというべく、このように道路交通法三五条三項が交差点の一応の通行順位を定めたことが、交差点に進入する際右方からくる車両の有無およびその動静に注意を払うべき義務までを免除するものとは解せられないので(東高判昭四二・四・一三)、被害者干田の運転する右二輪車が、右交差点の入口において、減速または一旦停車をせずに被告人よりも遙かに高速度で交差点に進入してきたのを被告人が明らかに目撃したというのならともかく、(もし、そのような相手方の交通規則違反の行動を容易に予見しうる場合ならば、相手方が不適切な行動に出る蓋然性が大であつて、このことを容易に被告人が認識しうるところだから、相手方の規則遵守の適切な行動をあてにすることは社会的に不相当で信頼の原則は排除されるけれども、本件にはそのような特別な事情はない)、自己が先に北側交差点に入ろうとし、かつ右方はるかに後方を交差点に向つて進行してくる二輪車が仮りにあつたとしても、交通法規を守り必ず右交差点で一旦停止または減速してくれ、衝突の危険を未然に防止するため適切な行動に出ることを信頼して運転したとしても無理がなく、(この場合当然に被告人は信頼に応じた適切な措置をとれば、注意義務を遵守したものとして過失なきに帰する)左右の見透しがよくない本件では、被告人が違法に進行してくる車両のあることを現認したという具体的事実は認められないし、被告人が遵守すべき注意義務違背の過失責任など、信頼の原則の適用を妨げる特別事情は何も認められないので、右二輪車が三〇キロ以上という高速で一旦停止することなく東進してくることまでも予測し、常時これに備え直ちに急停車できる程度に減速徐行し、これに対処する措置を講ずべき注意義はないというべきである。というのは、以下の観点からの帰結であつて、本件交差点が双方の車両ともに徐行を必要とし、さらに干田は既に他の道路から交差点に入つている被告人の車両があつたのであるから、その進行を妨げてはならず、当然に互いに安全運転義務としての速度と方法も要請されるべきところ双方の車両の右交差点前の距離の相違は相当に大であつて、右交差点のほぼ中心部に近接した場所が衝突地点であること。被告人の車両の変形状況と衝突状況とくに角度からの衝突時の車速を算出するために実務上用いる方式、さらに停止用意をしてから確実に停止するまでに車両が走行する実験則上の制動距離(実務上の公式として、停止の必要の知覚時間、反応時間をみて、速度・自重・荷重ブレーキや道路状況等の要素をも考え、空走距離を実験則上約二米とみてこれをも含む)。実務上用いられる計算式による予見可能時速、及び本件のように自動車対自動車の事故では、相手を発見して衝突するまでの時間は、実験上3.5秒前後に集中する点から、相手車までの距離を時間で読み、二秒台は行動を起さぬし、四秒台では行動を完了して事故に至らぬという点、などをも考慮に入れると、右干田が二輪車を運転して右交差点に進入したときの速度が三〇キロを遙かに超えるものであることが明白であり、被告人が右交差点に進入したときの速度は時速八キロないし一〇キロ前後であることが容易に肯認できるので、該交差点内では干田は左方道路から同時にその交差点に入ろうとしている被告人の車両の進行を妨げてはならないことになる。(干田の車両が時速三〇キロだつたという干田自身の当公廷での供述は合理的疑の余地を多分に存し措信できず、諸般の事情からすればむしろそれを遙かに超える高速だと認めるのが相当である。また、被告人が時速二五キロのままで進行したとの証拠は全くなく、却つて被告人並びに被害者干田の公廷での各供述は完全に符合し、これにより時速八キロないし一〇キロ前後に被告人が減速したことが明白である。=〈大判大一五・一一・一六。東高判昭三三・四・二二。〉=判例上通常貨物車は二〇キロ〈東高判昭二九・五・三一。高松高判昭三七・三・七〉=二種原動機は一五キロ。一般車は一〇キロ以下〈東高判昭三三・四・二二。名高判昭四一・一二・二〇〉とされるも、当裁判所は結局「直ちに停止できる速度」とは、ブレーキ操作をして停止するまでの距離が一メートル以内となる速度で、時速に換算すると八キロないし一〇キロ(秒速は2.222ないし2.778メートル)だと思料するので、被告人の右速度は概ね妥当というほかはない)。

そうすると、左右の見透しの悪い、信号機もない上に、公安委員会による格別の道路の交通規制も認め得ない本件十字路で、右側道路から進行する被害者干田は交差点に入る前に、速度を減ずることなく、時速三〇キロ以上で、しかも、同人が自認する如くに前方注視を全く欠き、交差点を無謀に突破しようと猛進したのにひきかえて、本件全証拠を仔細に検討しても、被告人が左右を確めた位置が、右方道路の交通状態が見える範囲を特段に狭小ならしめる程に、不適当であるとか、左右確認の順序・方法を誤るとかで、確認不十分との点は何ら認められず、車両の構造・積載量・道路事情、とくに地形・見透しの難易、交通量を綜合しても、被告人の車両が不適切な速度であつたとの証拠はなく、また被告人の車両がより一層超低速度に減速進行したとしても本件事故を免れ得たという確証はないし、さらに具体的義務規定でまかなえないで特に安全運転義務を補充的に認めうるほどに被告人の運転が一般的に事故と結びつく蓋然性の強い危険な速度や方法によるものと認められないので、本件の場合は安全運転義務といえども、当時の客観的状況から合理的に予測できない突発事態にまで対処できるよう万全の注意を要求するものと解せられない以上これ以上の注意義務を被告人に期待できないから、被告人に過失の責任はなく、全く被害者干田の一方的重大な過失に起因するものと、断ずるほかはない。

もつとも、被告人の各供述調書(司法警察員並びに検察官に対する)に記載の供述中、自己の過失を自認する如き表現ある部分は、後に至つて単なる回想の陳述に過ぎず、事故の翌日と約三カ月後になした各実況見分調書の指示説明も一部正確を保し難い点があり、ともに被告人の過失責任を認定するには足りない。

してみると、仮りに、被告人が衝突地点の約2.9メートル手前(被害者の制動開始時)に近接する附近まで、干田の暴走に気付かなかつたうちに、本件衝突事故が発生したからといつて、道路交通法四二条の徐行義務本来の趣旨が真実のいわゆる出合い頭の衝突を避けるための規定と解せられるので、被告人をして被害者が法無視の運転をするかもしれぬと予想させるに足る特段の事情がない本件の具体的状況からすれば、道路交通法が交通の円滑をも目的とする以上、通常の注意義務を超える過当な注意義務まで課すのは妥当でないから、適切な徐行をし左右の確認をした被告人が、さらに段階的に終始間断なく継続要請されるとして、前方左右を注視し交通の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務を怠つた過失によると断定するのは相当でなく、他に被告人の過失を認めるに足りる証処もない。もとより過失責任存否の判定は、現実に生じた法益侵害の結果に最も近接した時点での結果の予見及びその回避の可能性を検討し、それが否定された後に、順次それ以前の段階に遡つて検討すべきである(札高判昭四〇・三・二〇)ところ、前記認定どおり一応の注意義務を尽した被告人が本件交差点に進入後直進するに際し、仮りに厳密に批判してその後の左右の安全確認並びに徐行調務に違背した僅小な過失が偶然に若干あつても、それにひきかえ被害者には全くの前方不注意・左右の安全不確認・徐行不履行・左方の車両優先通行無視等、遙かにそれ以上の過大な過失があり、同人が優に時速三〇キロ余で進行中急停車の措置をとり、そのためにスリップしてまつさかさまに転倒したことの明らかに認められる本件では、少くとも被告人の右注意義務の懈怠と事故との間に因果関係がない(最判昭四二・一〇・二四。大高判昭四一・二・一七参照)ものと解するのが相当である。〈ここでいう因果関係とは、その犯罪論体系上の位置づけがどうであつても、実務上は通常その行為により結果の発生が実験則上予測される場合で(最判昭二三・三・三〇参照)、全く偶然の事情の介入による「相当」の範囲を超えた結果を生じた稀有の事例でない(広高岡支判昭二四・一二・二七参照)ときに、因果関係ありとなす見解に当裁判所も従う。〉

なおいうまでもなく、法規が要請する義務を履行しただけで常に注意義務を遵守するに欠けなかつたとはいえず、常に社会的相当性を標準とし具体的場合につき判断すべく、そして客観的注意義務の内容を具体的に、一般通常人の立場から予見可能性が肯定されることを要し、その具体化のための基準として信頼の原則が適用される場合には、予見可能性があつても予見義務と結果回避義務とが免除される。だから、本件は被告人に若干の交通規則違反が仮りにあつても、上記のようにこれと因果関係なく事故原因をなしていないのであるから、信頼の原則を適用することに、何ら支障を認めないのである(最判昭四二・一〇・一三参照)。

さらに、上述の万一被告人に若干の過失も否定しきれぬと仮定した場合、本件に特殊な看過できない点として、過失の競合と刑責の関係につき、考察附言しよう。

もともと過失の大小は、事故発生の予見の難易により、認識の対象としての具体的事実にもとづいて判断すべきで、被害者らの不注意は結果の発生に原因を与えているときに限られ、同時にその限度で加害者の責任は軽減され、加害者は自己が現出した結果だけに刑責を負えば足り、民事とは異る論理で相殺的に評価される。とくに、交通規制のない見透しの悪い交差点での事故は、双方に大差ない程度の過失がある限り、平分的な評価もあり得るし、また結果から刑責も減ぜられ、過失も他の場所よりも重く評価されることもある。だから、本件の場合は注意義務違反の大小が、結果招来に決定的に影響し、同時に過失行為の違法性の大小を左右し、過失犯の軽重を定める重要な要素となるものというべきである。

とすれば、仮りに本件の場合に被害者のそれに比照して余りにも著しく過小な何らかの過失が被告人に残存するとしても、それは「無害の過失」か、そうでなくともそれは自動車運行の社会的効用から、いわゆる「許された危険」の範疇に属し、もはや日常そのような注意義務の遵守を期待することは殆んど不可能であり、概念的に厳密にいえば客観的注意義務違反と名目上いえるにしても、少なくとも責任の問題としては行為者たる被告人を非難することは到底できない。

それで、業務上過失傷害の点は、結局犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をすべきである。

よつて、主文のとおり判決する。(井上和夫)

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